02.そもそも、アメフトってなあに?


フットボール」って、イングランドだとサッカーのことでしょ? で、アメリカだとアメフトのことなんでしょ?





うん、まあ、そうだねえ、たぶん






日本でフットボールっていうと、通じないこともあったりするけど、大体サッカーのことでしょ? 結局どれが何なの?





ええっとー。えっと。。。






じゃあ説明しようか。







ボールを蹴る遊びっていうのは、ずいぶん昔からあったらしいんだ。古代のギリシャやエジプトとか、紀元前100年くらいの中国の遺跡に、ボールを蹴る人たちのレリーフがあったりする。
 さらには南米の古代の街の遺跡には球戯場の跡があったりする。古いものだと紀元前1500年くらい。遺跡に残ってる絵とか像から見るに、これはボールを蹴ったり腰で打ったりして石の輪に通すってゲームだったらしい。サッカーみたいに手を使っちゃダメで、ゴールはバスケ並みの小ささみたいな感じかな?


 これが古代の球技場の遺跡だよ。

 中米あたりにたくさん残って、大体おんなじ形をしてる。壁に囲まれた長方形のフィールドで、奥に見えるのは神殿のような建物。
 右の壁に人が集まってるけど、壁につけられた石の輪を見てるんだね。
 石の輪をアップにするとこう。

 サッカーのゴールとかバスケのリングと同じで、ここにボールを通せば点が入る、とか、勝ち、とかいうことだったらしい。

 これが選手だと言われている絵と像。

 基本は戦士っていうことで、こういう格好をしてたみたい。アメフトのルーツだから鎧!ってことじゃないからねー。


 そして試合に勝つと神の生贄になれたっていう説もある。負けたらじゃなくって、勝ったら、だからね。生贄は名誉なので勝ったほうがなるんだね。
 生贄に決まった人はしばらくの間、神に捧げられるものってことで国中の尊敬を集めて丁寧に扱われて、つまり贅沢させてもらって、それから球技場の横にもあった、こういう神殿の上のほうにつれていかれる。

 そして生きたまま心臓を取り出して…

 こういう、皿を持った像の、その皿の上に心臓を置くんだ。


そんでね、そんでね、うひひ






もうその話よくね…?







ああ、えーとね。ふぅ。とにかく古代では球技は神につながるものだったわけだよ。

 で、中米の遺跡ほど古いものではないけれど、世界中どこでもボールを使ったゲームはあったみたい。でもみんな、それぞれのローカル・ルールでやってただけだったんだ。
 競技場をつくって、選手を決めてやる方法から、村中の人が総出でボールを蹴っ飛ばし合うようなものまで、いろいろだったんだね。


 それからだんだんスポーツっぽくルールが決められていったんだけど、やっぱり細かい部分は違ってた。大富豪 a.k.a. 大貧民とか、ドロケイ a.k.a. ケイドロとか、ローカル・ルールが多いゲームっていまだにあるよね。
 でも、統一ルールがあったほうが、転校生が来たときに混乱がすくないじゃない? 隣町のチームと対抗戦するぞってときなんかにも便利だよね、というよりは必要だよね、って考えるようになったのが、19世紀のイングランドの、今でいう私立大学の人たち。
 でも、ここでもやっぱり大学ごとにルールが違っていたから、ルールを統一するのにまず相談しなきゃならなかった。


 しかもこの頃のルールは、2つに大きく分かれてたんだ。いわゆる今のサッカー式と、ラグビー式。

 手を使って良いか、禁止か。この違いは大きすぎるよね。


いや、サッカーとラグビーは統一できないだろ。






ラグビー式が生まれたのは、1823年にラグビー大学のエリスっていう男の子が試合中にテンションあがりすぎてボールを持って走り始めちゃったところから、っていう伝説がある。まあ真偽不明だけど、ラグビーはそのころからあったんだろうね。
 1846年にケンブリッジ大学を中心に、サッカー派が統一ルール的なものを作ったんだ。でもそれでも、ラグビー大学などラグビー方式が良いっていう学校もたくさんあった。そして1863年、いよいよ統一ルールを決めよう、って協議したけれど、やっぱり決裂。もうサッカーとラグビーは別のスポーツってことで良いよね、という方向になったみたい。


そりゃそうだろ…






サッカー式が多数派だったから、協会式(みんなで決めたんだよっていう意味)フットボールということで、それがAssociation Footballという名称になった。縮めてsoccer。



縮まってるか?






ラグビー式はラグビー大学が中心だしRugby Footballでいいよねって感じだったみたい。


さて。一方アメリカでは。

 アメリカにイングランドからフットボールが紹介されたのが1867年と言われてる。イングランドの大学でのルール協議よりも後ってことになるね。でも、やっぱりルールはそれぞれ学校ごとにまちまちだったらしい。当初紹介されたのはサッカールールだったけど、1869年にラトガーズ大学とプリンストン大学がはじめての大学対抗試合をして、これはラグビールールに近かったという記録がある。
 で、ラトガーズ大学、プリンストン大学コロンビア大学、エール大学が1874年に標準ルールを作ろうと言い出したけれど、ハーバード大学が拒否。ハーバードはその年にカナダのマギル大学と対抗戦をする。このときのルールはほとんどラグビーだったらしい。
 それならなんで統一ルールづくり拒否したのかねっていう疑問は残るものの、それからもラグビールールの方が人気が高かった。そしていつのまにやらなんとなく統一ルールができあがっていって、これがアメリカでは「フットボール」って呼ばれるようになった。ラグビー亜流だね。
 でもそれで満足しないのがアメリカ人。こっちのルールにしたほうが面白いよね? って、みんなが認めたらそのルールを採用して、だんだんと独自のスポーツに変化していったわけ。どんどん現実に合わせてルールを変えていくってのがアメリカっぽいね。

  • 1880年。オフェンスとディフェンスがはっきりしてたほうがいいよねー

 →ラグビースクラムからの試合再開を毎回やることにした。スクリメージの登場だね。すべてのプレーがサッカーやラグビーで言うセットプレーになって、プレーごとに止まるっていうアメフトらしさができた。

  • 1882年。オフェンスは4回のダウンで10ヤード進めなかったらボール所有権を失うことにしようよー

 →ダウン制の導入だね。

  • 1906年。パスって前にも投げられた方が楽しいよねー

 →1プレーに一度だけ前にパスを投げることを許可。


 他にも細かいルールの改定が積み重ねられていって、1930年代には怪我人が出すぎるから防具つけようよー、っていういかにもアメリカ的な豪快ルールが採用された。これでほとんど現在のアメリカンフットボールになった。
 というわけで、アメリカではサッカーとラグビーは人気がない、っていうんじゃなくって、サッカーとラグビーはアメフトに進化していったので現存していない、っていう言い方ができるかもしれないわけだね。


実は、フットボールは国ごと地域ごとにいくつも種類があるんだ。すべて統一ルールを整備していく間に枝分かれしていったものと言えるみたいだね。


の他にも、

(アメフトにかなり近い。フィールドが少し広い、12人制、3rd.ダウン制。)

アイルランドで行われている。サッカーっぽいラグビーみたいでタックルやブロックはほとんどなし。ボールは丸い)

(ゲーリック・フットボールに近いが、少しタックルあり。ボールは小さめの楕円)。


 でもサッカーが一番ルールが理解しやすい。だから一番広まったのかなあ。それとも帝国主義時代に植民地をたくさんもってた国のスタンダードがサッカーだったからかな。


どどど、どこからがルールの話だったんだい?






すまん、まだルールの話は始まってない。